9月25日の北信越・百万石杯に続いて南京大会(10月1・2日)と上海大会(10月15日)に参加してきました。
南京大会は松島良一師範の指導のもと赵烽(ザオフォン)支部長が主催して7回目の大会でした。
大連からは張海波(ジャンハイポー)・梁英哲(リャンインジェ)・李向飞(リーシャンフェイ)・赵趙(ザオチャオ)の4名が参加し健闘してくれました。
梁君は北信越から1週間での参加でした。
南京大会は軽い上段回し蹴りや受けてぐらっとしただけで技ありを取られたり、軸足を蹴られてバランスを崩して倒れても技ありを取られるため、ちょっとしたミスも敗北につながります。
そんな中で赵趙君が重量級3位に入賞してくれました。
尚、この大会では18年ぶりに松島師範と奥さまにお会いできました。
上海大会は長谷川一幸師範の指導のもと龚寒(ゴンファン)支部長が主催してすでに10回くらいを重ねた大会です。
大連からは菊崎晴大・白宏伟(バイホンウェイ)・赵趙(ザオチャオ)の3名が参加、菊崎君(日本人)が45歳の年令ながら重量級の4位に入賞してくれました。
彼は2回戦で相手選手の下段回し蹴りを45度の角度の膝受けでカットし、相手のすねを折ったかすねにヒビをいれて1本勝ちしたため3回戦での地元チャンピオンとの試合で押されて場外へ出るたびに観客の大歓声を浴びてしまいましたが、試合後45歳最高齢選手であるとのアナウンスで逆に観客から拍手を浴びていました。
やはりがんばっている人には中国人も日本人も感動することに変わりはありません。
北信越で梁英哲君がベスト8入賞、南京大会で赵趙君が重量級3位入賞、上海大会で菊崎君が4位入賞と3人が連続入賞してくれました。
今までにない結果です。
今回は国慶節の1週間以上の休みをはさんだため特訓が中途半端で終わってしまいました。
それでもこの結果です。
今後彼らの実績を目標基準としてチャンピオンを狙える選手が育ってくるはずです。
ただしまだまだ基礎体力の部分での力量不足ですので、チャンピオンになるための負荷の高いトレーニングをさせていくつもりです。
極真空手には「心臓を焼く」という非常に苦しいトレーニング思想があります。
心臓が焼けるようなきついトレーニングをこのように表現しているわけです。
チャンピオンになるにはこのような過酷な心肺トレーニングを避けて通ることはできません。
これからが本番です。
「筋力強化」(パワーアップ)のためのバーベルを使ったサーキットトレーニンや「心臓を焼く」ための陸上競技でのインターバル・ファルトレク・ビルドアップなどのランニングトレーニングの考え方をクロスさせて空手の基礎体力作りに生かしたチャンピオン育成のトレーニングを実施していきたいと考えています。
押忍
2011年10月17日
2011年09月28日
第29回北信越&第12回百万石杯空手道選手権大会
今年も北信越都百万石杯が開催されました。
北信越は昨年2連覇の枡田選手が不参加の上、世代交代もあり参加選手が18名でしたが、中国大連の選手も2名参加して大会を盛り上げてくれました。
残念ながら優勝は庄田力弥選手(大阪岸和田、一光会館中尾功三館長)に持っていかれました。
中尾館長は私の大阪南支部時代(増田章・下村敬指導員)の弟子ですが、今回は浜井派は完敗でした。
ハッキリした判定負けです。
参加選手中最も小兵ながら攻防の技術・パワー・スピード・スタミナすべてにおいて優れた選手でした。
あとで聞いて驚いたのですが、なんとまだ17歳の高校2年生です。
只すでに小学生の頃から多くの大会に上位入賞してきた少年部からの英才です。
最近も古今の有名大会で準優勝やベスト4入賞を果たしているそうです。
昨年の北信越ではベスト8入賞ですから、きっちりリベンジされてしまったわけです。
来年も是非参加してもらって、浜井派の選手の奮起を促したいと思っています。
中国の梁英哲選手は彼に2回戦で敗れましたが、善戦したと思います。
庄田選手には文句なしの技能賞、ベスト8入賞の梁選手には敢闘賞が送られました。
来年は北信越は30回目の節目を迎えます。
私もブラジルの磯部師範を見習って中国で強い選手を育てようと決意を新たにしています。
さらに10月は南京大会(10月1日・2日、極真松島派)、上海大会(10月15日、極真連合会長谷川道場)に中国大連の選手が参加する予定です。
結果は次回お知らせします。
押忍
北信越は昨年2連覇の枡田選手が不参加の上、世代交代もあり参加選手が18名でしたが、中国大連の選手も2名参加して大会を盛り上げてくれました。
残念ながら優勝は庄田力弥選手(大阪岸和田、一光会館中尾功三館長)に持っていかれました。
中尾館長は私の大阪南支部時代(増田章・下村敬指導員)の弟子ですが、今回は浜井派は完敗でした。
ハッキリした判定負けです。
参加選手中最も小兵ながら攻防の技術・パワー・スピード・スタミナすべてにおいて優れた選手でした。
あとで聞いて驚いたのですが、なんとまだ17歳の高校2年生です。
只すでに小学生の頃から多くの大会に上位入賞してきた少年部からの英才です。
最近も古今の有名大会で準優勝やベスト4入賞を果たしているそうです。
昨年の北信越ではベスト8入賞ですから、きっちりリベンジされてしまったわけです。
来年も是非参加してもらって、浜井派の選手の奮起を促したいと思っています。
中国の梁英哲選手は彼に2回戦で敗れましたが、善戦したと思います。
庄田選手には文句なしの技能賞、ベスト8入賞の梁選手には敢闘賞が送られました。
来年は北信越は30回目の節目を迎えます。
私もブラジルの磯部師範を見習って中国で強い選手を育てようと決意を新たにしています。
さらに10月は南京大会(10月1日・2日、極真松島派)、上海大会(10月15日、極真連合会長谷川道場)に中国大連の選手が参加する予定です。
結果は次回お知らせします。
押忍
中国大連夏季審査会
2011年9月18日大連で昇級昇段審査会が開催されました。
今回も約100名の受審者があり、2名の黒帯が誕生しました。
2007年の大連道場開設から満4年で計5名の黒帯が誕生しましたが、全員15人組手を完遂した極真の黒帯です。
初期の黒帯の彼らが将来の指導者・師範になるのですから、あえて10人ではなく15人組手完遂を初段の条件にしたのです。
今後審査ごとに数名の黒帯が誕生することになります。
将来彼らが中国全土に散って、極真空手を普及してくれることを期待しています。
それゆえ彼らには口を酸っぱくして「世界の武術と日本の武道の違い」を説明し、繰り返したたきこんでいます。
武術文明と武道文明は絶対に混同してはいけないのです。
武道文明は地政学的理由と歴史的理由から日本にしかないと断言できます。
世界にあるのは武術であって武道ではありません。
これからも日本・中国を問わず武道と武術を明確に区別できる武道家を育てていきたいと考えています。
押忍
今回も約100名の受審者があり、2名の黒帯が誕生しました。
2007年の大連道場開設から満4年で計5名の黒帯が誕生しましたが、全員15人組手を完遂した極真の黒帯です。
初期の黒帯の彼らが将来の指導者・師範になるのですから、あえて10人ではなく15人組手完遂を初段の条件にしたのです。
今後審査ごとに数名の黒帯が誕生することになります。
将来彼らが中国全土に散って、極真空手を普及してくれることを期待しています。
それゆえ彼らには口を酸っぱくして「世界の武術と日本の武道の違い」を説明し、繰り返したたきこんでいます。
武術文明と武道文明は絶対に混同してはいけないのです。
武道文明は地政学的理由と歴史的理由から日本にしかないと断言できます。
世界にあるのは武術であって武道ではありません。
これからも日本・中国を問わず武道と武術を明確に区別できる武道家を育てていきたいと考えています。
押忍
2011年09月01日
武神軍団、中国大連総本部道場来訪
2011年8月29日(月)30日(火)の両日、武神の師範3名と少年チャンピオン4名、計7名の軍団が中国大連総本部と支部を来訪し、組手交流稽古を開催しました。
武神の師範は
桜塾 塾長 酒井寿和 五段
大上会館 館長 大上忠伸 五段
佐藤道場 代表 佐藤育宏 四段
の3名
少年チャンピオン軍団は
桜塾 初段 松井海輝 13才(武神オールジャパンカップ準優勝)
桜塾 初段 北川連 14才(白蓮会館全日本ジュニア優勝)
桜塾 初段 尾原隼人 14才(武神ジャパンカップ準優勝)
佐藤道場 初段 加藤貴大 13才(武神オールジャパンカップ準優勝)
の3名
大連総本部での少年部(午後6時から)と一般部(午後7時15分から)
翌日支部道場で午後6時半から
紹介を終えた後、交流組手稽古に入りました。
4名とも入賞のトロフィーやカップなど20〜25個持っているという歴戦のファイターなので、組手なれしていました。
大連の少年部は試合が全く経験していないので、精神的にも技術的にもまだまだですが、必死で頑張っていました。
試合経験がない割にはがんばってくれたのではないかと感じました。
間違いなくいい刺激になったことでしょう。
少年チャンピオン軍団には多少無理をしてもらって一般部の色帯から黒帯まで組手をしてもらいました。
また師範3名も一般の組手に参加して技を披露してくれました。
互いに大変勉強になったのではないでしょうか?
私も2日目の午前の稽古を1時間半ほど見学させてもらいましたが、約30分のインターバルシャドウカラテなど参考になりました。
昼は大連の繁華街、天津(テンチン)街、や駅前勝利広場などを歩いて買い物や食事をし、夜は1日目は中国北京発のしゃぶしゃぶ店「東来順(トンライシュン)」、2日目は大連最大・最高級の「万宝(ワンボウ)海鮮飯」で夕食を取りました。
大連道場の師範代や支部長の王洋師範代・梁英哲師範代なども参加し大いに盛り上がりました。
買い物は格安?のDVDやこれまた格安?のブランド品(時計やサイフ)など中国人と価格のやり取りをしながら大いに騒ぎました。
このような交流を武神のメンバーとできたことは大きな成果でした。
交通費や宿泊費のかかることですから、そうそう実現できないとは思いますが、大連に来るなら大歓迎です。
日本のフルコンの方々でしたらルールが同じなので、大歓迎です。
是非大連へ合同稽古に来てください。
お待ちしています。
それにしても武神軍団の皆さんありがとうございました。 押忍
武神の師範は
桜塾 塾長 酒井寿和 五段
大上会館 館長 大上忠伸 五段
佐藤道場 代表 佐藤育宏 四段
の3名
少年チャンピオン軍団は
桜塾 初段 松井海輝 13才(武神オールジャパンカップ準優勝)
桜塾 初段 北川連 14才(白蓮会館全日本ジュニア優勝)
桜塾 初段 尾原隼人 14才(武神ジャパンカップ準優勝)
佐藤道場 初段 加藤貴大 13才(武神オールジャパンカップ準優勝)
の3名
大連総本部での少年部(午後6時から)と一般部(午後7時15分から)
翌日支部道場で午後6時半から
紹介を終えた後、交流組手稽古に入りました。
4名とも入賞のトロフィーやカップなど20〜25個持っているという歴戦のファイターなので、組手なれしていました。
大連の少年部は試合が全く経験していないので、精神的にも技術的にもまだまだですが、必死で頑張っていました。
試合経験がない割にはがんばってくれたのではないかと感じました。
間違いなくいい刺激になったことでしょう。
少年チャンピオン軍団には多少無理をしてもらって一般部の色帯から黒帯まで組手をしてもらいました。
また師範3名も一般の組手に参加して技を披露してくれました。
互いに大変勉強になったのではないでしょうか?
私も2日目の午前の稽古を1時間半ほど見学させてもらいましたが、約30分のインターバルシャドウカラテなど参考になりました。
昼は大連の繁華街、天津(テンチン)街、や駅前勝利広場などを歩いて買い物や食事をし、夜は1日目は中国北京発のしゃぶしゃぶ店「東来順(トンライシュン)」、2日目は大連最大・最高級の「万宝(ワンボウ)海鮮飯」で夕食を取りました。
大連道場の師範代や支部長の王洋師範代・梁英哲師範代なども参加し大いに盛り上がりました。
買い物は格安?のDVDやこれまた格安?のブランド品(時計やサイフ)など中国人と価格のやり取りをしながら大いに騒ぎました。
このような交流を武神のメンバーとできたことは大きな成果でした。
交通費や宿泊費のかかることですから、そうそう実現できないとは思いますが、大連に来るなら大歓迎です。
日本のフルコンの方々でしたらルールが同じなので、大歓迎です。
是非大連へ合同稽古に来てください。
お待ちしています。
それにしても武神軍団の皆さんありがとうございました。 押忍
2011年06月17日
「突き」の威力を2〜3倍以上にする基本稽古と移動稽古とミット打ち稽古の新理論の導入
故大山倍達総裁が60才を超える晩年になっても「突き」の威力を増すために正拳つまり拳(こぶし)の握り方に悩んでいた、あるいはその方法を模索していたという話は有名です。
しかしまさか私も57歳になって「突き」の威力を2〜3倍以上にするために基本稽古と移動稽古そしてミット打ち稽古を全面的に見直すというか、連続技や型も含めてすべての稽古を根本から変えるべきと気づくとは思いませんでした。
基本も移動もミット打ちも外見は全く変わらないのですが、その理論と方法論を全く変えることによって「突き」の威力を2〜3倍以上にできる可能性を発見したのです。
これによってすべての稽古が本当に生きた「基本稽古・移動稽古・ミット打ち稽古」となります。
楽しく意味のある「基本稽古・移動稽古・ミット打ち稽古」となるのです。
毎日の「基本稽古・移動稽古・ミット打ち稽古」が楽しさ3倍になりました。
もちろん故大山総裁のいう「拳(こぶし)の握り方」もこれに関係してきます。
足腰の鍛錬も不可欠です。
しかしこれらすべてをを連動させると奇跡的な「突き」が出せる可能性があるのです。
ただし基本稽古の際、三戦立ちは1回ごとに左右に切り替えることにしました。
なぜ基本稽古を三戦立ちでやるべきなのか理由が理論的に明確に分かったからです。
なぜ前屈立ちや騎馬立ち、後屈立ちではダメなのかもわかったからです。
昔の武士が腹部の甲冑(かっちゅう)の上から当て身や突きを打っても腹の全面ではなく背中までダメージが突き刺さるという伝説がありましたが、どうもこれは伝説ではなく本当のようです。
さらに故大山総裁が「空手は<空手>であって<空足>ではない。」といっておられたことがありますが、空手は足での「蹴り」よりもやはり手による「突き」がより重要なのです。
それゆえ2011年6月22日(日)の審査以降、中国大連総本部での稽古方法を革命的に改変することにしました。
始めたばかりなので組手や試合でその結果が出るには半年1年かかると思いますが、研究を重ねて「一撃必殺の空手の突き」を完成させたいと思っています。
「蹴り」に関してもこの理論が応用できるかどうかはまだ明確ではありませんがこれも研究していくつもりです。
以上
しかしまさか私も57歳になって「突き」の威力を2〜3倍以上にするために基本稽古と移動稽古そしてミット打ち稽古を全面的に見直すというか、連続技や型も含めてすべての稽古を根本から変えるべきと気づくとは思いませんでした。
基本も移動もミット打ちも外見は全く変わらないのですが、その理論と方法論を全く変えることによって「突き」の威力を2〜3倍以上にできる可能性を発見したのです。
これによってすべての稽古が本当に生きた「基本稽古・移動稽古・ミット打ち稽古」となります。
楽しく意味のある「基本稽古・移動稽古・ミット打ち稽古」となるのです。
毎日の「基本稽古・移動稽古・ミット打ち稽古」が楽しさ3倍になりました。
もちろん故大山総裁のいう「拳(こぶし)の握り方」もこれに関係してきます。
足腰の鍛錬も不可欠です。
しかしこれらすべてをを連動させると奇跡的な「突き」が出せる可能性があるのです。
ただし基本稽古の際、三戦立ちは1回ごとに左右に切り替えることにしました。
なぜ基本稽古を三戦立ちでやるべきなのか理由が理論的に明確に分かったからです。
なぜ前屈立ちや騎馬立ち、後屈立ちではダメなのかもわかったからです。
昔の武士が腹部の甲冑(かっちゅう)の上から当て身や突きを打っても腹の全面ではなく背中までダメージが突き刺さるという伝説がありましたが、どうもこれは伝説ではなく本当のようです。
さらに故大山総裁が「空手は<空手>であって<空足>ではない。」といっておられたことがありますが、空手は足での「蹴り」よりもやはり手による「突き」がより重要なのです。
それゆえ2011年6月22日(日)の審査以降、中国大連総本部での稽古方法を革命的に改変することにしました。
始めたばかりなので組手や試合でその結果が出るには半年1年かかると思いますが、研究を重ねて「一撃必殺の空手の突き」を完成させたいと思っています。
「蹴り」に関してもこの理論が応用できるかどうかはまだ明確ではありませんがこれも研究していくつもりです。
以上
2011年06月14日
中国大連総本部道場初の昇段審査
2011年6月12日(日)中国大連総本部道場初の昇段審査が行われました。
2007年10月15日に道場を開設して3年8カ月経過しての初の昇段審査なのです。
総勢94名の受審者の内、3名が15人組手に挑戦しました。
まだ対戦相手に黒帯がいないため、通常初段10人組手のところを15人組手と厳しくしたわけです。
1名は膝の慢性故障を抱えているため、故障している足への攻撃なしということで逆に20人組手としました。
全員無事完遂してくれました。
中国での指導年数4年近くにして、ようやく黒帯の指導員体制が作れるわけです。
次回の審査も3〜5名の昇段審査となり、今後続々黒帯が誕生するはずです。
日本とシステムが異なり、支部道場開設は難しいのですが、支部道場創設を加速してゆく予定です。
また大連だけでなく他の都市での道場開設も思案中です。
以上
2007年10月15日に道場を開設して3年8カ月経過しての初の昇段審査なのです。
総勢94名の受審者の内、3名が15人組手に挑戦しました。
まだ対戦相手に黒帯がいないため、通常初段10人組手のところを15人組手と厳しくしたわけです。
1名は膝の慢性故障を抱えているため、故障している足への攻撃なしということで逆に20人組手としました。
全員無事完遂してくれました。
中国での指導年数4年近くにして、ようやく黒帯の指導員体制が作れるわけです。
次回の審査も3〜5名の昇段審査となり、今後続々黒帯が誕生するはずです。
日本とシステムが異なり、支部道場開設は難しいのですが、支部道場創設を加速してゆく予定です。
また大連だけでなく他の都市での道場開設も思案中です。
以上
2011年06月06日
長女美香の昇段30人組手
先月5月22日の石川県での昇級・昇段審査会で、私の4人娘の長女美香が三段30人組手に挑戦しました。
初段10人組手2名、二段20人組手1名(3名とも男性)の後で30人組手に挑んだのです。
今年1月まで中国の大連で私と共に指導に当たってくれていた娘でしたが、いつまでも大連に置いておくわけにはいかないという妻の意見もあり、本人も上海での語学留学での就職1年と大連での極真空手指導3年の計4年間で中国生活に区切りをつけたいという意向もあり、日本に帰国したわけです。
その卒業試験で3段に挑戦したいというわけでした。
最初は無理だろうとみていましたが、本人の決意も固く、準備期間を3カ月として、私が大連で教えた受け技や合わせ技、そして大小ミット打ち・蹴り、それに加えてジャンピングスクワット、3拍子ジャンピングスクワット、ヒンズースクワットの組み合わせ600回などをこなし、心肺機能も100メートル・80メートル・60メートルのダッシュ30本の組み合わせなども追加するよう指導したのですが、なんとかクリアしたようです。
また浜井派の支部長たちの道場に通って組手なども指導してもらったこともあり、事前に軽いスパーリング30人組手も4回ほどこなしてきたということです。(私は大連で指導しているため、その3カ月は直接指導はできませんでしたが。)
しかしいくらトレーニングを重ねても体重は60キロ弱で女性ですので、正直心配していました。
始まってみると緊張のせいか、1人目からすでに試合モードで戦い始めたので、これはまずいと思いました。
7〜8人ですでにスタミナ切れでこれでは30人は到底無理だと感じ「みっともない戦い方になるなら途中でやめさせる。」と宣言しました。
訓練は今までにない方法と質・量をこなしてきたのに、以前見た20人組手よりも今回はスタミナ切れが早いように感じました。
後で聞いたのですが前日はやはり緊張してほとんど眠れなかったそうです。
「いつ止めることになるのか?」と覚悟していたところ、12〜13人目当たりから動きがすこしずつ良くなってきたのです。
緊張も解け、肩の力や体の力が抜けたのでしょうか、20人目からは逆に回復してきたのには驚きでした。
対戦者は男性14人女性16名で、女性の中に中学生ですが身長168センチ体重60キロ弱の高校生以上の体格の強豪がいました。
少年部から数多くの大会で入賞しているチャンピオンクラスの女子と聞いていました。彼女は5人目と29人目で2度対戦させました。
実は少年部からの強豪は手足の攻撃が連続的で、間合いも近く休めない強敵です。
一般部から初めた対戦者よりやりにくいのは、多くの指導者の知るところですが、なかなかいい試合をしてくれました。
長女美香は型大会は高校生の頃世界大会出場経験はありますが、私は彼女の大学時代の試合経歴をあまり知りません。
しかし30人組手の達成はがんばったのではないかと思います。
考えてみると、昇段審査での30人組手は、石川県の極真の36年の歴史でも初めてでした。
過去に水口敏夫師範が岡山へ支部長として赴任するとき、記念として50人組手をやり遂げましたが、正式な昇段審査での30人完遂は今回が初めてです。(私も50人組手をやったことはありますがこれも昇段審査ではありませんでした。)
まさか娘が30人組手を成功させるとは思ってもいませんでした。
まるで関係ないのでしょうが、3日後に二人で能登島に釣りに行ったらものすごく天気も良く、涼しくて爽やかな中、28匹もアジが釣れましたが、苦しい思いをしてきた娘に対する御褒美のようでした。
最近読んだ欽ちゃん(コント55号の萩本欽一氏)の「ダメなときほど運がたまる」という本に、辛いとき悲しいときさみしいとき、自分がダメだなと思うときほどプラス思考で人の悪口や世間への愚痴を言わず明るく頑張っていると「どんどん運がたまっていく」ということが書いてありましたが、なにか私もわかるような気がしました。
それにしても「ダメなときほど運がたまる」なんて素敵な題名ですね。
私も娘に負けず後1年ほどは大連でがんばろうと思っています。
実は大連は3〜4年で区切りをつけるつもりでした。
私ももう少し大連でがんばろうかどうしようか迷っていたのですが、この本に「石の上にいも3年」でだいたいのことは成功するが「本当に運がつくには5年かかる」と書いてあったのです。
本来は今年10月で丸4年なので、来年は東京に道場を出そうと計画していましたが、もう1年延期するつもりです。
以上
初段10人組手2名、二段20人組手1名(3名とも男性)の後で30人組手に挑んだのです。
今年1月まで中国の大連で私と共に指導に当たってくれていた娘でしたが、いつまでも大連に置いておくわけにはいかないという妻の意見もあり、本人も上海での語学留学での就職1年と大連での極真空手指導3年の計4年間で中国生活に区切りをつけたいという意向もあり、日本に帰国したわけです。
その卒業試験で3段に挑戦したいというわけでした。
最初は無理だろうとみていましたが、本人の決意も固く、準備期間を3カ月として、私が大連で教えた受け技や合わせ技、そして大小ミット打ち・蹴り、それに加えてジャンピングスクワット、3拍子ジャンピングスクワット、ヒンズースクワットの組み合わせ600回などをこなし、心肺機能も100メートル・80メートル・60メートルのダッシュ30本の組み合わせなども追加するよう指導したのですが、なんとかクリアしたようです。
また浜井派の支部長たちの道場に通って組手なども指導してもらったこともあり、事前に軽いスパーリング30人組手も4回ほどこなしてきたということです。(私は大連で指導しているため、その3カ月は直接指導はできませんでしたが。)
しかしいくらトレーニングを重ねても体重は60キロ弱で女性ですので、正直心配していました。
始まってみると緊張のせいか、1人目からすでに試合モードで戦い始めたので、これはまずいと思いました。
7〜8人ですでにスタミナ切れでこれでは30人は到底無理だと感じ「みっともない戦い方になるなら途中でやめさせる。」と宣言しました。
訓練は今までにない方法と質・量をこなしてきたのに、以前見た20人組手よりも今回はスタミナ切れが早いように感じました。
後で聞いたのですが前日はやはり緊張してほとんど眠れなかったそうです。
「いつ止めることになるのか?」と覚悟していたところ、12〜13人目当たりから動きがすこしずつ良くなってきたのです。
緊張も解け、肩の力や体の力が抜けたのでしょうか、20人目からは逆に回復してきたのには驚きでした。
対戦者は男性14人女性16名で、女性の中に中学生ですが身長168センチ体重60キロ弱の高校生以上の体格の強豪がいました。
少年部から数多くの大会で入賞しているチャンピオンクラスの女子と聞いていました。彼女は5人目と29人目で2度対戦させました。
実は少年部からの強豪は手足の攻撃が連続的で、間合いも近く休めない強敵です。
一般部から初めた対戦者よりやりにくいのは、多くの指導者の知るところですが、なかなかいい試合をしてくれました。
長女美香は型大会は高校生の頃世界大会出場経験はありますが、私は彼女の大学時代の試合経歴をあまり知りません。
しかし30人組手の達成はがんばったのではないかと思います。
考えてみると、昇段審査での30人組手は、石川県の極真の36年の歴史でも初めてでした。
過去に水口敏夫師範が岡山へ支部長として赴任するとき、記念として50人組手をやり遂げましたが、正式な昇段審査での30人完遂は今回が初めてです。(私も50人組手をやったことはありますがこれも昇段審査ではありませんでした。)
まさか娘が30人組手を成功させるとは思ってもいませんでした。
まるで関係ないのでしょうが、3日後に二人で能登島に釣りに行ったらものすごく天気も良く、涼しくて爽やかな中、28匹もアジが釣れましたが、苦しい思いをしてきた娘に対する御褒美のようでした。
最近読んだ欽ちゃん(コント55号の萩本欽一氏)の「ダメなときほど運がたまる」という本に、辛いとき悲しいときさみしいとき、自分がダメだなと思うときほどプラス思考で人の悪口や世間への愚痴を言わず明るく頑張っていると「どんどん運がたまっていく」ということが書いてありましたが、なにか私もわかるような気がしました。
それにしても「ダメなときほど運がたまる」なんて素敵な題名ですね。
私も娘に負けず後1年ほどは大連でがんばろうと思っています。
実は大連は3〜4年で区切りをつけるつもりでした。
私ももう少し大連でがんばろうかどうしようか迷っていたのですが、この本に「石の上にいも3年」でだいたいのことは成功するが「本当に運がつくには5年かかる」と書いてあったのです。
本来は今年10月で丸4年なので、来年は東京に道場を出そうと計画していましたが、もう1年延期するつもりです。
以上
2011年05月06日
長い長いブランク
昨年11月より、出版準備中の著作の完成に集中していました。
その間の3月11日に東日本大震災が発生、日本の状況が一変してしましました。
先の大戦以来の非常事態となったわけです。
明治天皇の短歌「敷島の大和心の雄々しさは事あるときぞ現れにける」のごとく、このような危機の時こそ日本人の冷静さとたくましさが現れると信じています。
現在出版準備中の本も日本人のすばらしさを武術と武道の明確な違いを提示して日本の武道が単なる日本の文化の一つではなく、大きな武道文明を形成していることを明らかにしたものです。
どのような形で発表・出版するか現在検討中です。
電子出版と通常の書店流通出版の両面からアプローチしようと考えています。
その間の3月11日に東日本大震災が発生、日本の状況が一変してしましました。
先の大戦以来の非常事態となったわけです。
明治天皇の短歌「敷島の大和心の雄々しさは事あるときぞ現れにける」のごとく、このような危機の時こそ日本人の冷静さとたくましさが現れると信じています。
現在出版準備中の本も日本人のすばらしさを武術と武道の明確な違いを提示して日本の武道が単なる日本の文化の一つではなく、大きな武道文明を形成していることを明らかにしたものです。
どのような形で発表・出版するか現在検討中です。
電子出版と通常の書店流通出版の両面からアプローチしようと考えています。
2010年11月30日
日本人の教科書「日本武道文明と世界武術文明比較」
2010年11月30日
第1回「日本人と日本文明の本質を解明する」
日本人とは何か?過去幾度となく日本人は自らに問いかけています。日本人ほど日本人論が好きな人種はいないともいわれます。古くはルースベネディクト氏の「菊と刀」、新渡戸稲造氏の「武士道」、土居健郎氏の「甘えの構造」、会田雄二氏の「アーロン収容所」、イザヤベンダサン氏の「日本人とユダヤ人」、最近では内田樹氏の「日本辺境論」など大変面白い日本人論が出版されています。それゆえ日本人は「どうも自分たちは他の国の人々と違っているようだ」と漠然と感じています。もちろん民族・国家ごとにすべての国の人々の民族的国家的特性はそれぞれ異なっているでしょう。しかし日本人はその違い方に大きな特徴を持っているように感じられるのです。しかしそれを論理的に解明したり、説明できた例を私は知りません。
私は約36年にわたって極真空手の指導者として空手に携わってきましたが、つい最近になって武道と武術の違いを明確に言葉と論理で説明できるようになってきました。現在56歳ですが、50歳ごろからどうも武道と武術の違いが文明の大きな転換点なのではないか?と気づき始めたのです。
そのヒントは私の師である極真空手創始者故大山倍達総裁が最後の著書「極真の精神」(市井社)で日本の武士道精神・武道精神は人類史上最高度の芸術的精神であるとの主張です。
この著書で故大山総裁は明治維新以降の日本の歴史的偉業(明治維新という無血革命、日清戦争勝利、有色人種が初めて白人を破った日露戦争勝利、大東亜戦争<太平洋戦争・第2次大戦>敗北、戦後23年でのGNP世界第2位達成)の根底には、誠実と勤勉、努力と忍耐、一所懸命という武士道・武道の精神があると主張されているのです。
しかも韓国のパクチョンヒ大統領の韓国近代化による経済発展もそのモデルは明治維新にあり、シンガポールのリークアンユー氏やマレーシアのマハティール氏の日本に学べという姿勢もこれらは日本武道精神が世界的に学ぶべき精神であるということを言っているのだと主張されているのです。
つづく
第1回「日本人と日本文明の本質を解明する」
日本人とは何か?過去幾度となく日本人は自らに問いかけています。日本人ほど日本人論が好きな人種はいないともいわれます。古くはルースベネディクト氏の「菊と刀」、新渡戸稲造氏の「武士道」、土居健郎氏の「甘えの構造」、会田雄二氏の「アーロン収容所」、イザヤベンダサン氏の「日本人とユダヤ人」、最近では内田樹氏の「日本辺境論」など大変面白い日本人論が出版されています。それゆえ日本人は「どうも自分たちは他の国の人々と違っているようだ」と漠然と感じています。もちろん民族・国家ごとにすべての国の人々の民族的国家的特性はそれぞれ異なっているでしょう。しかし日本人はその違い方に大きな特徴を持っているように感じられるのです。しかしそれを論理的に解明したり、説明できた例を私は知りません。
私は約36年にわたって極真空手の指導者として空手に携わってきましたが、つい最近になって武道と武術の違いを明確に言葉と論理で説明できるようになってきました。現在56歳ですが、50歳ごろからどうも武道と武術の違いが文明の大きな転換点なのではないか?と気づき始めたのです。
そのヒントは私の師である極真空手創始者故大山倍達総裁が最後の著書「極真の精神」(市井社)で日本の武士道精神・武道精神は人類史上最高度の芸術的精神であるとの主張です。
この著書で故大山総裁は明治維新以降の日本の歴史的偉業(明治維新という無血革命、日清戦争勝利、有色人種が初めて白人を破った日露戦争勝利、大東亜戦争<太平洋戦争・第2次大戦>敗北、戦後23年でのGNP世界第2位達成)の根底には、誠実と勤勉、努力と忍耐、一所懸命という武士道・武道の精神があると主張されているのです。
しかも韓国のパクチョンヒ大統領の韓国近代化による経済発展もそのモデルは明治維新にあり、シンガポールのリークアンユー氏やマレーシアのマハティール氏の日本に学べという姿勢もこれらは日本武道精神が世界的に学ぶべき精神であるということを言っているのだと主張されているのです。
つづく
2010年07月09日
今書いている本について・・・「日本と世界に奇跡をもたらす日本の道(どう)哲学」という本について
「極真空手は武道空手である。」極真空手の創始者故大山倍達総裁は常々そう主張されていました。
さらには「日本の武士道こそが世界の指導理念」・「人間精神の芸術品、武士道」・「日本の武道は、また武道精神は日本の歴史が作り出した最高度のものである。精神と人生、生活の細部にまで至り、人間性すべてに及ぶ人間修養法の芸術品とも呼ぶべきものであろう。」とまでその最後の著書に書いておられました。
武道は日本の江戸時代に武士の剣術つまり殺人術を剣道・武士道として人の道とし、殺人剣を活人剣に作り変えた日本の精神哲学です。(これは人類史上初で唯一の奇跡なのですが、日本人にとって当たり前すぎてそのすごさが当の日本人に理解も自覚もされていません。それゆえ世界に対してその奇跡的な価値を明確に説明もできないのです。しかし実はこの奇跡の精神哲学が人類の未来にとって大きな可能性を秘めているのです。)
命がけの真剣による戦い、剣道から始まって、江戸時代の日本では多くの学者たちがあらゆる武術を武道として人を活かす精神哲学を生み出したばかりでなく、武士道を基礎として武士以外の農工商人の生き方をも「人の道、日本人のあり方」として示したのです。
しかもそれは誰か一人の学者の手によるものでなく、日本人の集合知として生まれたのです。ただし集合知の致命的弱点として、明確な理論として提示されているのではなく、なんとなく日本と日本人がそうなっているため、当の日本人が世界に対してその奇跡的価値や意義を説明できないのです。
剣道や武士道世界から生まれた日本の道(どう)哲学の第二原理を紹介しましょう。
世界では好まれない、忌み嫌われる奴隷的労働を日本ではハタ(他者・他人・社会)を楽にする「働くこと」としてやりがい、生きがい、誇り、喜びそして心と魂の尊い修行にまで高めたことです。
これも人類史上唯一の奇跡なのですが、日本人にとって当たり前すぎて、何がすごいのかまったく日本では理解されていません。
実はすべての日本人の精神には多かれ少なかれこのような人類史上唯一の奇跡的な日本の精神哲学、それを代表する武士道精神や武道精神が残っているのです。
だからこそ日本と日本人が世界史にデビューした明治維新以降、日本と日本人は世界で多くの奇跡を実現してきたのです。それも本で詳しく説明します。ただ日本人はその歴史的奇跡にさえ気づいていないのです。その気づいていないこと自体も本当に不思議な奇跡です。
何ゆえに世界中を回って世界のさまざまな文化を肌で知り、日本の精神哲学と比較できた故大山総裁がこれほどまでにこのような日本武道精神を人類最高の精神遺産として重要視したのか?
日本の精神哲学に対し最高の評価をしたのか?
故大山総裁は理論的には説明してはくれませんでした。それゆえ当の極真の武道家にすら明確に理解されていないと思われるのです。
しかし私には故大山総裁が日本の奇跡の歴史を作ってきた日本の精神哲学の根本に武士道精神・武道精神があることを直感的に知っていたとしか思えないのです。
師の日本の武道精神への最大限の評価は決して単なる一武道空手家のひとりよがりではないのです。
しかし日本武道から生まれた奇跡の日本の精神哲学は一般の日本人にも世界の人々にもこのままでは決して理解されないと思われます。
そして勘違いしてはならないのは、日本武道に代表される日本の精神哲学は日本の武道界にとって大切なのではなく、人類の共存と繁栄にとって最重要な精神哲学であるということなのです。
ここを間違えてはならないのです。
日本の武道界でしか価値がないのなら、たいした価値ではありません。
極端に言えばどうでもいいことです。
そうではなく人類の共存と繁栄にとって不可欠の精神哲学だから重要なのです。
何を大げさなと言わないでください。
どうして私がそのような確信を持ったのか?その理由もここで明確に説明したいと思っています。
私の一橋大学の空手部の先輩で一橋総合研究所(一橋総研)の代表である鈴木壮冶氏が2008年9月に出版した「サムライ資本主義」(鈴木壮冶・立川隼人共著、PHP)も同様に「地球益を守るサムライ精神」を説いてくれています。(鈴木先輩は金融のエキスパートで世界の金融を熟知しているといわれる日本人です。石原都政の参与の経験も持っています。)
しかしこれも一部の変わった資本主義の考え方としか捉えられない可能性が大きいと思われます。
なぜなら故大山総裁や鈴木壮冶氏、そして私も武道家ですからそれは日本人にとっての武道の評価ではなく、武道家の武道評価として我田引水、つまり武道家のひとりよがりと捉えられてしまう恐れが大きいのです。
これでは本当の日本の精神哲学・武道精神の価値は一般の日本人にも世界の人々にも伝わりません。
そこで私は武道家の観点から日本武道や日本の精神哲学の価値を評価するのでなく、一般日本人の観点から日本の精神哲学として評価しなおすことが、一般の日本人に日本の精神哲学を理解してもらおうと考えました。
日本の精神哲学については「武士道精神」・「サムライ精神」ということで世界に知られていますが、その本質は世界の人々はもちろん当の日本人すら明確に理解していないと思われます。
それゆえ今後ますます日本の精神遺産が失われてしまう可能性が高いのです。
これは日本にとっての損失というだけでなく実は世界にとっても非常に大きな損失なのです。
これから私の説明する日本の精神哲学「日本の和の哲学」・「日本の道(どう)哲学」は日本ばかりでなく世界に奇跡を起こす力を秘めているからです。
何故なら日本ならびに日本人は江戸時代に開国して世界の歴史にデビューして以来、1868年の明治維新から2009年の現在まで、大きな奇跡を何度も起こしているのですが、それが大きすぎて当たり前となってしまい、その奇跡の原因がこれらの日本人の無意識の精神哲学にあることが理解されていないのです。
この「無意識の日本の精神哲学」の価値は実は日本どころか世界を変える奇跡的な力を持っているといったら大げさと言われるでしょうか?
そうではありません。
私はこの日本の精神哲学以外に世界を救う精神哲学はありえないのではないかとさえ感じています。ただしそれが無意識の精神哲学であるということが最大の弱点でもあるのです。
この日本と日本人の精神哲学を理論的に明確にして日本人自身の自覚的なものとし、世界や世界の人々に説明できるようにするとその力は10倍いや100倍となるはずです。
なぜなら世界に理解され支持され世界中に多くの賛同者や味方ができるからです。
日本の精神哲学はひとり日本人のものにしておくのはもったいないほどすばらしい人類の精神遺産なのです。
外国人も直感で感じているのですが、やはり説明はできません。しかし剣道や柔道・空手道・合気道などになど武道や茶道・華道・香道に入門してくる外国人たちは日本精神の「何か」を求めてきているのです。
しかし当の日本人が「その何か=日本の精神哲学」を言葉や論理で説明できないのでは残念ながらどうしようもないのです。
一体その無意識の精神哲学とは何か?というとそれは「剣道・武士道精神に始まり、逆に剣道・武士道精神をも含んだ日本の道(どう)哲学」であるというのが私の結論なのです。
「道(どう)哲学」とは一体何のことかと思われるでしょう。これは私の造語です。
「道(どう)哲学」とは、これ以外の表現の仕様がない、日本文明が生み出した人類の平和と繁栄にとって最も大切で重要不可欠な精神哲学なのです。
そしてこの「日本の道(どう)哲学」を生み出したのが「命がけの真剣で戦う剣道であり、剣道から生まれた武士道」です。それらを生み出した母体は「日本の和(わ)の哲学」なのです。
これらの哲学そのものが日本が生み出した人類最高の精神哲学・精神文明・精神遺産であるといっても間違いないと思います。これも本で詳しく説明します。
しかもそれらは一部の武道家や茶道・華道・香道家の精神哲学ではありません。
ふつう一般の日本人の商業人・工業人・農業人すべてに当てはまる精神哲学なのです。
つまり日本では一般人の中にサムライが一杯いるのです。
しかも当人はそれを自覚していないのです。
自分でも説明できないのです。
そのためサムライ精神を理解できない人々から逆に「不器用」とか「馬鹿」に見られてしまうのです。
それはそうでしょう、好き好んで自ら損する道、苦労する道を選ぶ人間などありえないからです。
こんなサムライの多い国や国民は世界にありません。
損を覚悟、不利益を覚悟、苦労・苦難の道になることを知った上で、あえて自らその道を選ぶからです。
だからこそ「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」などという魂の叫びの詩(うた)が読まれるのです。これは「自分にとって不利益・損であってもやってしまう、社会のためにやらざるを得ない」という悲痛な覚悟の詩(うた)なのです。
肝心の日本人自身が日本の精神哲学を理解し、説明できないために、サムライ精神が理解できない国々や世界の人々から日本や日本人全体が誤解されたり、悪く見られたり、馬鹿に見られてしまうことさえあります。
そしてこの哲学は封建社会であろうが資本主義社会であろうが共産主義社会であろうが関係ありません。人間中心の人間哲学だからなのです。人類にとって普遍的な価値を持つ平和と繁栄、共存・共栄の精神哲学なのです。
ただし大問題なのはそれが当の日本人にとって無意識の精神哲学であるということであり、自覚もないため世界に説明もできない精神哲学なのです。
そのためその精神哲学から生じる行動が世界の国々や人々に誤解を受けたり正反対に受け取られても日本人にはその理由をうまく説明できないのです。
弁明するどころか間違って自分たちが悪いと勘違いして反省?してしまう精神哲学なのです。
それゆえますます誤解と中傷が世界で繰り返されるのです。本当に残念なことですが・・・。
その結果日本人自体がその高度な精神哲学「道(どう)哲学」を捨ててしまいかねないのです。
そのような無残な結果とならないように、まず日本人が日本人の精神哲学をしっかりと理解し自覚したうえで世界に言葉や論理で明確に、しかも国家的規模・国民的規模で示すことができるようになる必要があります。
この本の目的のひとつはこの無意識の日本の精神哲学を日本人の自覚する精神哲学にし、日本人自身が世界に具体的な言葉や論理で説明できるようにすることなのです。
さてその内容ですが、それは年内に完成予定の本で詳しく示したいと思いますが、ここでは結論だけ書いておきます。
世界の常識「労働は罰であり、最下層階級の人間のやること」に対し、日本の常識は「働くことは、やりがいであり、生きがいであり、誇りであり、喜びであり、ハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく心と魂の修行である。」
世界の常識「敵は皆殺しであり、勝った者、勝ち組がガッツポーズで総取り」に対し、日本の常識は「敵といえども尊敬し敬意を払う。勝っても相手を尊重し活かしガッツポーズはしない、勝ち誇らないし、総取りはしない、分け与えるのです。」
世界の常識「技術や技法・作法は、最後まで単なる技術や技法・作法に過ぎない。人間性とは関係ない。」に対し、日本の常識は「技術や技法・作法は単なる技術や技法・作法ではなく、人の道であり、尊い心と魂の修行である。」
実はこれらの精神哲学は無意識的に深く日本人の心に根付いているのです、当の日本人が気づかないほど深く。
ただし現在その価値が自覚されておらず、論理的にわからないゆえに壊されかけているし、失われつつあるのも事実ですが。
それでは日本の「道(どう)哲学」が生み出す現代的なわかりやすい奇跡をいくつか挙げてみまましょう。
世界に冠たるアメリカ自動車メーカーのビッグスリーが倒産または倒産寸前なのは何故でしょうか?
それは日本のレクサス、トヨタのプリウス、ホンダのインサイト、マツダのデミオなど日本が人間中心に車製造を追求した世界一の製造業道の結果なのです。製造業ではありません。製造業「道」なのです。
製造業どころか日本人なら資本主義を資本主義道にできるのです。共産主義もある理由で難しいでしょうが共産主義道にできる可能性があります。
会社も会社道にできます。というよりすでにしているのです。
会社道だから1番大切なのはお客様、2番が社員、3番が役員・社長、最後が株主なのです。
世界と正反対なのです。
世界は「ホリエモンや村上ファンドのように「金を儲けてどこが悪い?」「会社は株主のもの、株主が一番大切、労働者は奴隷」という勝ち組総取り哲学なのです。
自分たちの会社への税金投入をお願いしに自家用機でやってきたアメリカの自動車メーカービッグスリーのトップたちと違い、倒産した山一證券社長は泣きながら「社員は悪くない。悪いのは自分たち経営者である。」と主張したのです。
これも世界と正反対です。日本以外の世界では決してありえません。
日本人は、すべての技術・技法・作法を人の道、心と魂の修行にしてしまう世界で唯一の国民なのです。
これが日本の道(どう)哲学の第一原理です。そこから「働くことはやりがいであり生きがいであり誇りであり喜びであるばかりでなハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく、心と魂の尊い修行である」とする日本の道(どう)哲学の第二原理が生まれたのです。
日本人はすべての技術・技法・作法や働くことを人の道、心と魂の修行にできる世界で唯一の奇跡の民族であり奇跡の国家なのです。
もちろんサムライ的な生き方をする人々は世界にもいるにはいますが、国民全体がそのような精神を無意識にもっているのは日本しかないということです。
これは我田引水・ひとりよがりでなく、世界の歴史や聖書などを学べば学ぶほど日本人にしかできないとわかります。
ただし絶対に勘違いしないで下さい。これは日本人の選民意識とか思い上がりではありません。
このような精神哲学が日本にうまれたのは日本人の優秀さや努力だけでは説明不可能です。
日本という国の地政学上の位置、つまり海に囲まれた島国という環境から生まれた日本人の大幸運の結果なのです。これについては本で詳しく解説するつもりです。
続けましょう。
日本人はやくざ・悪人でさえ「極道」つまり悪人道にしてしまうのです。
なぜこんなことができるのかというと、人を殺す「剣術」を人を活かす活人剣「剣道」にしてしまったのがその原点です。
日本人はこれ以後すべての「殺しの武術」を人を活かす「活人武道」に作り変えてしまったのです。
柔術が柔道、空手術が空手道に、合気術が合気道に変えられたのです。
こんな奇跡的なことがあっさりとできてしまっているのが日本であり日本人なのです。
そしてあっさりと当たり前にできたがゆえにこれが奇跡を実現していることだと気づかないのも日本人なのです。
世界にも似たことがあるだろうと勘違いしていますが聖書を見ても紀元前2000年前の歴史から見てもそんな実例はありません。
もちろん世界中に武術はありますが、殺しの武術は最後まで殺しの武術であり、活人武道や人の道などありません。ありえないのです。発想外だからです。
「外国にも武術や格闘技はあるから同じようなものだろう」と日本人の感性で絶対に勘違いしてはならないのです。
つづいて日本人はお茶を楽しむ作法、花を生ける作法、香を楽しむ作法さえも茶道・華道・香道にしてしまったのです。
また日本では日本料理はもちろんですが中華料理もフランス料理もイタリア料理も日本が一番うまいとさえ言われています。
それは日本と日本人が職人を尊敬し大切にするからです。
料理道の達人、道を究めた人として尊敬されるからです。
素材と技術を大切にすることから生まれた寿司・刺身・天ぷら・鍋料理・和牛などの料理や和食はこれからも世界に普及し世界の食文化を変えてゆくでしょう。
日本の人気テレビ番組に「料理の鉄人」という料理人の腕自慢を戦わせる番組がありましたが、これを韓国で作ろうとして、おいしいと評判の韓国の料理人を番組で韓国全土に紹介しようとしたところ拒否されたことがあったと聞いています。なぜでしょうか?理由は「こんな料理人などやって汗まみれで働いているところをテレビで親戚一同に知られたら恥だ。」ということだそうです。つまり働くことは下層階級の卑しい、恥ずかしいことという思想がまだ韓国には根強く残っているということなのです。
世界的には韓国のほうが常識であり、日本の方がまだまだ特殊なのです。
さらに日本人は楽しむためのスポーツでさえ自分に厳しいストイックな武道、スポーツ道にしてしまいます。
第2回WBCワールドクラシックベースボールで打てないイチローを使い続ける原監督。
スポーツではありえない選手起用です。監督失格です。
しかし武道の修行ならば求道者の象徴イチローをはずすわけにはいかない。
原監督はまさしく「サムライジャパン」の監督なのです。
最後の日本道は「そうじ道」だと私は考えます。究極は「便所そうじ道」でしょう。
どうしてかは皆さん自身で想像してみてください。
私の目標は日本の高い地位にある人々が便所そうじしている姿を映像にとり、世界中に発信することです。
これが革命的に日本と日本人に対する世界の人々の考え方を変えることができる、日本と日本人そして日本の精神哲学「和(わ)の哲学」・「道(どう)哲学」を世界の人々に知ってもらえる、理解してもらえる大きなきっかけとなると考えています。
これくらいにしておきましょう。
でもいかがでしょうか?
どうしてこの日本の「和の哲学」や「道(どう)哲学とそれを具体化する道(どう)システム」が日本や世界に奇跡を起こすのかおわかりになるでしょうか?
簡単に言えばこの精神哲学によって世界の人々が「アリとキリギリスの故事」にある、仲間の為に働くアリのように生まれ変わらせるのです。しかもそれは「奴隷的な労働」ではなく「やりがい、生きがい、誇りであり、喜びであり、ハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく心と魂の尊い修行として働く」のです。世界が良くならないわけがありません。
労働という共産主義的階級的用語では考えられないことですが、日本では働くという言葉の意味は「ハタ(他者・他人・社会)を楽にする」ことだという俗説があります。
ハタ(他者・他人・社会)を楽にする働くこと、そこにやりがい、生きがい、誇り、喜びがあり、働くこと自体を心と魂の尊い修行と捉える日本の精神哲学「和(わ)の哲学」・「道(どう)哲学」の本質があるのです。
実はそれらの日本の精神哲学の母体であり、もっとも象徴的な哲学が剣道哲学・武士道哲学であり武道哲学なのです。
何とか今年中に出版して「日本と日本人の素晴らしさ」「日本の道(どう)哲学の奇跡的価値」を日本人と世界に声を大にして訴えたいと決意しています。 押忍
さらには「日本の武士道こそが世界の指導理念」・「人間精神の芸術品、武士道」・「日本の武道は、また武道精神は日本の歴史が作り出した最高度のものである。精神と人生、生活の細部にまで至り、人間性すべてに及ぶ人間修養法の芸術品とも呼ぶべきものであろう。」とまでその最後の著書に書いておられました。
武道は日本の江戸時代に武士の剣術つまり殺人術を剣道・武士道として人の道とし、殺人剣を活人剣に作り変えた日本の精神哲学です。(これは人類史上初で唯一の奇跡なのですが、日本人にとって当たり前すぎてそのすごさが当の日本人に理解も自覚もされていません。それゆえ世界に対してその奇跡的な価値を明確に説明もできないのです。しかし実はこの奇跡の精神哲学が人類の未来にとって大きな可能性を秘めているのです。)
命がけの真剣による戦い、剣道から始まって、江戸時代の日本では多くの学者たちがあらゆる武術を武道として人を活かす精神哲学を生み出したばかりでなく、武士道を基礎として武士以外の農工商人の生き方をも「人の道、日本人のあり方」として示したのです。
しかもそれは誰か一人の学者の手によるものでなく、日本人の集合知として生まれたのです。ただし集合知の致命的弱点として、明確な理論として提示されているのではなく、なんとなく日本と日本人がそうなっているため、当の日本人が世界に対してその奇跡的価値や意義を説明できないのです。
剣道や武士道世界から生まれた日本の道(どう)哲学の第二原理を紹介しましょう。
世界では好まれない、忌み嫌われる奴隷的労働を日本ではハタ(他者・他人・社会)を楽にする「働くこと」としてやりがい、生きがい、誇り、喜びそして心と魂の尊い修行にまで高めたことです。
これも人類史上唯一の奇跡なのですが、日本人にとって当たり前すぎて、何がすごいのかまったく日本では理解されていません。
実はすべての日本人の精神には多かれ少なかれこのような人類史上唯一の奇跡的な日本の精神哲学、それを代表する武士道精神や武道精神が残っているのです。
だからこそ日本と日本人が世界史にデビューした明治維新以降、日本と日本人は世界で多くの奇跡を実現してきたのです。それも本で詳しく説明します。ただ日本人はその歴史的奇跡にさえ気づいていないのです。その気づいていないこと自体も本当に不思議な奇跡です。
何ゆえに世界中を回って世界のさまざまな文化を肌で知り、日本の精神哲学と比較できた故大山総裁がこれほどまでにこのような日本武道精神を人類最高の精神遺産として重要視したのか?
日本の精神哲学に対し最高の評価をしたのか?
故大山総裁は理論的には説明してはくれませんでした。それゆえ当の極真の武道家にすら明確に理解されていないと思われるのです。
しかし私には故大山総裁が日本の奇跡の歴史を作ってきた日本の精神哲学の根本に武士道精神・武道精神があることを直感的に知っていたとしか思えないのです。
師の日本の武道精神への最大限の評価は決して単なる一武道空手家のひとりよがりではないのです。
しかし日本武道から生まれた奇跡の日本の精神哲学は一般の日本人にも世界の人々にもこのままでは決して理解されないと思われます。
そして勘違いしてはならないのは、日本武道に代表される日本の精神哲学は日本の武道界にとって大切なのではなく、人類の共存と繁栄にとって最重要な精神哲学であるということなのです。
ここを間違えてはならないのです。
日本の武道界でしか価値がないのなら、たいした価値ではありません。
極端に言えばどうでもいいことです。
そうではなく人類の共存と繁栄にとって不可欠の精神哲学だから重要なのです。
何を大げさなと言わないでください。
どうして私がそのような確信を持ったのか?その理由もここで明確に説明したいと思っています。
私の一橋大学の空手部の先輩で一橋総合研究所(一橋総研)の代表である鈴木壮冶氏が2008年9月に出版した「サムライ資本主義」(鈴木壮冶・立川隼人共著、PHP)も同様に「地球益を守るサムライ精神」を説いてくれています。(鈴木先輩は金融のエキスパートで世界の金融を熟知しているといわれる日本人です。石原都政の参与の経験も持っています。)
しかしこれも一部の変わった資本主義の考え方としか捉えられない可能性が大きいと思われます。
なぜなら故大山総裁や鈴木壮冶氏、そして私も武道家ですからそれは日本人にとっての武道の評価ではなく、武道家の武道評価として我田引水、つまり武道家のひとりよがりと捉えられてしまう恐れが大きいのです。
これでは本当の日本の精神哲学・武道精神の価値は一般の日本人にも世界の人々にも伝わりません。
そこで私は武道家の観点から日本武道や日本の精神哲学の価値を評価するのでなく、一般日本人の観点から日本の精神哲学として評価しなおすことが、一般の日本人に日本の精神哲学を理解してもらおうと考えました。
日本の精神哲学については「武士道精神」・「サムライ精神」ということで世界に知られていますが、その本質は世界の人々はもちろん当の日本人すら明確に理解していないと思われます。
それゆえ今後ますます日本の精神遺産が失われてしまう可能性が高いのです。
これは日本にとっての損失というだけでなく実は世界にとっても非常に大きな損失なのです。
これから私の説明する日本の精神哲学「日本の和の哲学」・「日本の道(どう)哲学」は日本ばかりでなく世界に奇跡を起こす力を秘めているからです。
何故なら日本ならびに日本人は江戸時代に開国して世界の歴史にデビューして以来、1868年の明治維新から2009年の現在まで、大きな奇跡を何度も起こしているのですが、それが大きすぎて当たり前となってしまい、その奇跡の原因がこれらの日本人の無意識の精神哲学にあることが理解されていないのです。
この「無意識の日本の精神哲学」の価値は実は日本どころか世界を変える奇跡的な力を持っているといったら大げさと言われるでしょうか?
そうではありません。
私はこの日本の精神哲学以外に世界を救う精神哲学はありえないのではないかとさえ感じています。ただしそれが無意識の精神哲学であるということが最大の弱点でもあるのです。
この日本と日本人の精神哲学を理論的に明確にして日本人自身の自覚的なものとし、世界や世界の人々に説明できるようにするとその力は10倍いや100倍となるはずです。
なぜなら世界に理解され支持され世界中に多くの賛同者や味方ができるからです。
日本の精神哲学はひとり日本人のものにしておくのはもったいないほどすばらしい人類の精神遺産なのです。
外国人も直感で感じているのですが、やはり説明はできません。しかし剣道や柔道・空手道・合気道などになど武道や茶道・華道・香道に入門してくる外国人たちは日本精神の「何か」を求めてきているのです。
しかし当の日本人が「その何か=日本の精神哲学」を言葉や論理で説明できないのでは残念ながらどうしようもないのです。
一体その無意識の精神哲学とは何か?というとそれは「剣道・武士道精神に始まり、逆に剣道・武士道精神をも含んだ日本の道(どう)哲学」であるというのが私の結論なのです。
「道(どう)哲学」とは一体何のことかと思われるでしょう。これは私の造語です。
「道(どう)哲学」とは、これ以外の表現の仕様がない、日本文明が生み出した人類の平和と繁栄にとって最も大切で重要不可欠な精神哲学なのです。
そしてこの「日本の道(どう)哲学」を生み出したのが「命がけの真剣で戦う剣道であり、剣道から生まれた武士道」です。それらを生み出した母体は「日本の和(わ)の哲学」なのです。
これらの哲学そのものが日本が生み出した人類最高の精神哲学・精神文明・精神遺産であるといっても間違いないと思います。これも本で詳しく説明します。
しかもそれらは一部の武道家や茶道・華道・香道家の精神哲学ではありません。
ふつう一般の日本人の商業人・工業人・農業人すべてに当てはまる精神哲学なのです。
つまり日本では一般人の中にサムライが一杯いるのです。
しかも当人はそれを自覚していないのです。
自分でも説明できないのです。
そのためサムライ精神を理解できない人々から逆に「不器用」とか「馬鹿」に見られてしまうのです。
それはそうでしょう、好き好んで自ら損する道、苦労する道を選ぶ人間などありえないからです。
こんなサムライの多い国や国民は世界にありません。
損を覚悟、不利益を覚悟、苦労・苦難の道になることを知った上で、あえて自らその道を選ぶからです。
だからこそ「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」などという魂の叫びの詩(うた)が読まれるのです。これは「自分にとって不利益・損であってもやってしまう、社会のためにやらざるを得ない」という悲痛な覚悟の詩(うた)なのです。
肝心の日本人自身が日本の精神哲学を理解し、説明できないために、サムライ精神が理解できない国々や世界の人々から日本や日本人全体が誤解されたり、悪く見られたり、馬鹿に見られてしまうことさえあります。
そしてこの哲学は封建社会であろうが資本主義社会であろうが共産主義社会であろうが関係ありません。人間中心の人間哲学だからなのです。人類にとって普遍的な価値を持つ平和と繁栄、共存・共栄の精神哲学なのです。
ただし大問題なのはそれが当の日本人にとって無意識の精神哲学であるということであり、自覚もないため世界に説明もできない精神哲学なのです。
そのためその精神哲学から生じる行動が世界の国々や人々に誤解を受けたり正反対に受け取られても日本人にはその理由をうまく説明できないのです。
弁明するどころか間違って自分たちが悪いと勘違いして反省?してしまう精神哲学なのです。
それゆえますます誤解と中傷が世界で繰り返されるのです。本当に残念なことですが・・・。
その結果日本人自体がその高度な精神哲学「道(どう)哲学」を捨ててしまいかねないのです。
そのような無残な結果とならないように、まず日本人が日本人の精神哲学をしっかりと理解し自覚したうえで世界に言葉や論理で明確に、しかも国家的規模・国民的規模で示すことができるようになる必要があります。
この本の目的のひとつはこの無意識の日本の精神哲学を日本人の自覚する精神哲学にし、日本人自身が世界に具体的な言葉や論理で説明できるようにすることなのです。
さてその内容ですが、それは年内に完成予定の本で詳しく示したいと思いますが、ここでは結論だけ書いておきます。
世界の常識「労働は罰であり、最下層階級の人間のやること」に対し、日本の常識は「働くことは、やりがいであり、生きがいであり、誇りであり、喜びであり、ハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく心と魂の修行である。」
世界の常識「敵は皆殺しであり、勝った者、勝ち組がガッツポーズで総取り」に対し、日本の常識は「敵といえども尊敬し敬意を払う。勝っても相手を尊重し活かしガッツポーズはしない、勝ち誇らないし、総取りはしない、分け与えるのです。」
世界の常識「技術や技法・作法は、最後まで単なる技術や技法・作法に過ぎない。人間性とは関係ない。」に対し、日本の常識は「技術や技法・作法は単なる技術や技法・作法ではなく、人の道であり、尊い心と魂の修行である。」
実はこれらの精神哲学は無意識的に深く日本人の心に根付いているのです、当の日本人が気づかないほど深く。
ただし現在その価値が自覚されておらず、論理的にわからないゆえに壊されかけているし、失われつつあるのも事実ですが。
それでは日本の「道(どう)哲学」が生み出す現代的なわかりやすい奇跡をいくつか挙げてみまましょう。
世界に冠たるアメリカ自動車メーカーのビッグスリーが倒産または倒産寸前なのは何故でしょうか?
それは日本のレクサス、トヨタのプリウス、ホンダのインサイト、マツダのデミオなど日本が人間中心に車製造を追求した世界一の製造業道の結果なのです。製造業ではありません。製造業「道」なのです。
製造業どころか日本人なら資本主義を資本主義道にできるのです。共産主義もある理由で難しいでしょうが共産主義道にできる可能性があります。
会社も会社道にできます。というよりすでにしているのです。
会社道だから1番大切なのはお客様、2番が社員、3番が役員・社長、最後が株主なのです。
世界と正反対なのです。
世界は「ホリエモンや村上ファンドのように「金を儲けてどこが悪い?」「会社は株主のもの、株主が一番大切、労働者は奴隷」という勝ち組総取り哲学なのです。
自分たちの会社への税金投入をお願いしに自家用機でやってきたアメリカの自動車メーカービッグスリーのトップたちと違い、倒産した山一證券社長は泣きながら「社員は悪くない。悪いのは自分たち経営者である。」と主張したのです。
これも世界と正反対です。日本以外の世界では決してありえません。
日本人は、すべての技術・技法・作法を人の道、心と魂の修行にしてしまう世界で唯一の国民なのです。
これが日本の道(どう)哲学の第一原理です。そこから「働くことはやりがいであり生きがいであり誇りであり喜びであるばかりでなハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく、心と魂の尊い修行である」とする日本の道(どう)哲学の第二原理が生まれたのです。
日本人はすべての技術・技法・作法や働くことを人の道、心と魂の修行にできる世界で唯一の奇跡の民族であり奇跡の国家なのです。
もちろんサムライ的な生き方をする人々は世界にもいるにはいますが、国民全体がそのような精神を無意識にもっているのは日本しかないということです。
これは我田引水・ひとりよがりでなく、世界の歴史や聖書などを学べば学ぶほど日本人にしかできないとわかります。
ただし絶対に勘違いしないで下さい。これは日本人の選民意識とか思い上がりではありません。
このような精神哲学が日本にうまれたのは日本人の優秀さや努力だけでは説明不可能です。
日本という国の地政学上の位置、つまり海に囲まれた島国という環境から生まれた日本人の大幸運の結果なのです。これについては本で詳しく解説するつもりです。
続けましょう。
日本人はやくざ・悪人でさえ「極道」つまり悪人道にしてしまうのです。
なぜこんなことができるのかというと、人を殺す「剣術」を人を活かす活人剣「剣道」にしてしまったのがその原点です。
日本人はこれ以後すべての「殺しの武術」を人を活かす「活人武道」に作り変えてしまったのです。
柔術が柔道、空手術が空手道に、合気術が合気道に変えられたのです。
こんな奇跡的なことがあっさりとできてしまっているのが日本であり日本人なのです。
そしてあっさりと当たり前にできたがゆえにこれが奇跡を実現していることだと気づかないのも日本人なのです。
世界にも似たことがあるだろうと勘違いしていますが聖書を見ても紀元前2000年前の歴史から見てもそんな実例はありません。
もちろん世界中に武術はありますが、殺しの武術は最後まで殺しの武術であり、活人武道や人の道などありません。ありえないのです。発想外だからです。
「外国にも武術や格闘技はあるから同じようなものだろう」と日本人の感性で絶対に勘違いしてはならないのです。
つづいて日本人はお茶を楽しむ作法、花を生ける作法、香を楽しむ作法さえも茶道・華道・香道にしてしまったのです。
また日本では日本料理はもちろんですが中華料理もフランス料理もイタリア料理も日本が一番うまいとさえ言われています。
それは日本と日本人が職人を尊敬し大切にするからです。
料理道の達人、道を究めた人として尊敬されるからです。
素材と技術を大切にすることから生まれた寿司・刺身・天ぷら・鍋料理・和牛などの料理や和食はこれからも世界に普及し世界の食文化を変えてゆくでしょう。
日本の人気テレビ番組に「料理の鉄人」という料理人の腕自慢を戦わせる番組がありましたが、これを韓国で作ろうとして、おいしいと評判の韓国の料理人を番組で韓国全土に紹介しようとしたところ拒否されたことがあったと聞いています。なぜでしょうか?理由は「こんな料理人などやって汗まみれで働いているところをテレビで親戚一同に知られたら恥だ。」ということだそうです。つまり働くことは下層階級の卑しい、恥ずかしいことという思想がまだ韓国には根強く残っているということなのです。
世界的には韓国のほうが常識であり、日本の方がまだまだ特殊なのです。
さらに日本人は楽しむためのスポーツでさえ自分に厳しいストイックな武道、スポーツ道にしてしまいます。
第2回WBCワールドクラシックベースボールで打てないイチローを使い続ける原監督。
スポーツではありえない選手起用です。監督失格です。
しかし武道の修行ならば求道者の象徴イチローをはずすわけにはいかない。
原監督はまさしく「サムライジャパン」の監督なのです。
最後の日本道は「そうじ道」だと私は考えます。究極は「便所そうじ道」でしょう。
どうしてかは皆さん自身で想像してみてください。
私の目標は日本の高い地位にある人々が便所そうじしている姿を映像にとり、世界中に発信することです。
これが革命的に日本と日本人に対する世界の人々の考え方を変えることができる、日本と日本人そして日本の精神哲学「和(わ)の哲学」・「道(どう)哲学」を世界の人々に知ってもらえる、理解してもらえる大きなきっかけとなると考えています。
これくらいにしておきましょう。
でもいかがでしょうか?
どうしてこの日本の「和の哲学」や「道(どう)哲学とそれを具体化する道(どう)システム」が日本や世界に奇跡を起こすのかおわかりになるでしょうか?
簡単に言えばこの精神哲学によって世界の人々が「アリとキリギリスの故事」にある、仲間の為に働くアリのように生まれ変わらせるのです。しかもそれは「奴隷的な労働」ではなく「やりがい、生きがい、誇りであり、喜びであり、ハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく心と魂の尊い修行として働く」のです。世界が良くならないわけがありません。
労働という共産主義的階級的用語では考えられないことですが、日本では働くという言葉の意味は「ハタ(他者・他人・社会)を楽にする」ことだという俗説があります。
ハタ(他者・他人・社会)を楽にする働くこと、そこにやりがい、生きがい、誇り、喜びがあり、働くこと自体を心と魂の尊い修行と捉える日本の精神哲学「和(わ)の哲学」・「道(どう)哲学」の本質があるのです。
実はそれらの日本の精神哲学の母体であり、もっとも象徴的な哲学が剣道哲学・武士道哲学であり武道哲学なのです。
何とか今年中に出版して「日本と日本人の素晴らしさ」「日本の道(どう)哲学の奇跡的価値」を日本人と世界に声を大にして訴えたいと決意しています。 押忍